まるふぉい・ダイアリー

日々感じていることを文字に起こしていきます。

「鬼は内、福も内」という考え方:令和は鬼と共に歩む時代にしませんか?

Ⅰ.鬼って悪い存在なの?

 節分が近づくにつれ、私たちは「鬼は外、福は内」という言葉を耳にします。鬼は外、すなわち現代の私たちは鬼をマイナスな存在として捉えています。しかし、今回は一味違う視点から考えてみたいと思います。某童謡で描かれるような「鬼=悪」のイメージを払拭し、「鬼は内、福も内」という新しい視点に焦点を当ててみましょう。

Ⅱ.童話からの考察

 日本で有名な童話「ピーチ太郎」で考えてみることにしましょう。某童話で描かれる鬼の窃盗行為は、一見すると鬼を悪者と見なす要因となります。しかし、私たちはその裏に潜む可能性に目を向けることで、新たな視点が開かれるかもしれません。

 窃盗を働く鬼がピーチ太郎によって成敗される物語は、一般的な悪者設定を持っています。しかし、もし鬼がその行為から学び、成長する可能性がある(理性がある)と考えると、物語は全く異なるものになります。鬼も私たちと同じく過ちを犯すが、それを機に変わり、良い方向へ進むことができるという希望を見出せるのです。

 

Ⅲ.義務教育という概念がある現代
 昔々というくらいですから、あの時代の学校教育とは今とは比べ物にならないくらい低かったでしょう。いやましてや、鬼が教育を受ける機会は与えられなかったのではないでしょうか。そのうえで、もし鬼が必要最低限の教育を受けていたらどうでしょう?学校は知識だけでなく、道徳や社会的な価値観も教育する場であり、適切な指導を受けることで鬼たちは社会での適切な行動を学ぶことができます。また、学校は異なるバックグラウンドを持つ仲間との交流を通じて、共感力やコミュニケーションスキルを向上させる場でもあります。つまり、窃盗行為に働くような事件が起きる可能性は低くなると思いませんか。
Ⅳ.社会福祉が充実した現代

 鬼は貧しくて、仕方がなく窃盗を働かせた可能性も排除できません。しかし、現代では社会福祉がとても充実しています。それが効果的に機能すると、鬼たちは犯罪に走る必要性が薄れ、新たなサポートが提供されることで生活の安定が期待できます。生活保護職業訓練などがあれば、鬼たちは自らの力を発揮し、犯罪に頼ることなく社会で自立することができたのではないでしょうか。

 

Ⅴ.私たちは鬼と共存している

 私たちは日常生活で、他者に伝えにくいことを伝える際、心を鬼にしていませんか。また、自分の得意分野を伸ばせば、鬼は金棒となり、力強い味方に変わります。このようなことわざからも分かるように、私たちは鬼と共存しています。必要な時だけ鬼を味方にして、普段は鬼を災いの存在として捉えるのは、都合がよすぎないでしょうか。

 

Ⅵ.「鬼は内、福も内」という考え方

 鬼を理解し、共感することで、私たちはもっと良い世界を築くことができます。鬼は悪の象徴ではなく、その特性を理解すれば、新しい可能性が広がります。窃盗を働いた鬼が反省し更生するように、私たちも互いを理解し合い、共に成長していけるのです。

 学校教育の観点では、適切な教育が鬼たちに個々の特性を理解し、社会的な価値観やスキルを身につける機会を提供することで、犯罪に走る可能性が減少します。同時に、社会福祉の存在が鬼たちに必要なサポートを提供し、成長するための安定した環境を整えることができれば、犯罪の動機を排除し、より良い未来に向けて進む手助けとなります。

 令和時代だからこそ、鬼たちが学び、社会的なサポートを受けることで、私たちは彼らと協力して共に成長し、理解し合う社会を築くことが可能であったという視点で考えることができます。この「鬼は内、福も内」の精神は、学校教育と社会福祉が共に機能することでより深化し、持続可能な共存を築く基盤となります。私たちがお互いを理解し、協力し合うことで、鬼との共存が新しい福の可能性をもたらし、より豊かな未来に繋がるのです。

Ⅶ.終わりに

 令和時代において、新しい視点が求められています。これからの時代において、鬼を理解し合う、鬼は人間の仲間、という考え方があっても良いのではないでしょうか。「鬼は内、福も内」という言葉は、私たちが異なる存在と理解し合うことで、共に成長し、より良い未来を築く力を示唆しています。皆さんも是非、この視点を共有し、お互いを理解し合い、協力することで、より良い社会を築く一歩を踏み出しませんか。以上、最後までお読みくださりありがとうございました。